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今を生きる ―東日本大震災から明日へ! 復興と再生への提言―

刊行にあたって

今を生きよう Carpe Diem ――鎮魂、そして希望へ

 2011年3月11日は、日本人にとって、とりわけ東北地方に住む私たちにとって、筆舌に尽くしがたい大きな事件の日であり、そして転換点でした。人的および物的な、さまざまな面に及ぶ甚大な被害を前にして誰もが言葉を失い、沈黙を余儀なくされました。この沈黙は亡くなった方々に対する喪の意識の表れであると同時に、このような災害をもたらした「自然」に対する文字通り「言い知れぬ」想いの、無言の抗議でもあったでしょう。誰もが恐れおののいて絶句し、ある種言い知れぬ憤怒に捕らわれて語るべき言葉をもちえませんでした。

 しかし、震災からの日々のなかで、人々は何とか語るべき言葉を探し、語るべき事柄を徐々に紡ぎ出そうとし始めています。それは何よりもまず、死者たちの記憶を風化させることなく、確かなものとしてとどめようとする営みとしてあると言えるでしょう。死者たちの生きた証を刻むのが生きる者たちの務めであることは言うまでもありませんが、むろんそればかりではありません。むしろそれを責任として負うことによってしか、生きる者たちにとっての明日がないとも言えるのではないでしょうか。

 その思いは、いま自ずから「自然」へと、そして「人間」へと向けられ始めています。なすすべもなくその前に立ちすくむほかなかった「自然」が、いま抗議し、立ち向かわれるべき何ものかへと変貌しつつあるように思われます。かくも無惨な事態を引き起こした「自然」は、もちろんそれまで、そしてこれからも私たちに豊かな生活の方便を与えてくれるものであり続けるでしょう。そのような「自然」を前にして私たちはどのように生きるべきなのか。いままさに「人間」自身が問われているのです。

 日本人の無常観はこうした自然の災禍に苛まれ続けてきた歴史的所産であるとも言われます。そのことを確認することも大切な作業のひとつでしょう。しかしそれはここでの最大の課題だというのではありません。尋ねられるべきはむしろ、そのような「自然」にいかに対応して「今を生きるのか」という、再生と復興の、その方途でなければなりません。明日さえ定かならぬ身にとって、その生命の貴重さを肯うこと、「Carpe Diem (今を生きよう・この日をつかみ取れ)」(ホラティウス)と語りかけることばでなくてはなりません。そのことばがやがて、死者への「祈り」となり、「生命(いのち)」を言祝ぐ「希望」となるのではないでしょうか。

 被災地のただなかにある東北大学には、可能な限りの方策を提言していくという課題が課せられています。小会はこの課題に応えるべく「今を生きる ――東日本大震災 復興と再生への提言――」という叢書を刊行いたします。各分野の専門の立場や観点から、現在捉えうるこれからの可能性を探り、いま現在の「生」あるいは「生活」をよりよい方向性に進めるための指針として役立つものを提案するよう心がけて参ります。

2012年 東北大学出版会